1月17日は何の日?
1995年1月17日、私は東京、善福寺で普段と変わらず5時過ぎに起きて、コーヒーを飲んでいました。
6時過ぎ、テレビにて速報の第一報が入り、ただ事ではない雰囲気だったのを覚えています。
どんより曇った一日、仕事に行くのを遅らしながら しばらくテレビに見入っていました、
救助隊はどうした?
政府は?
映像がどんどん入ってきました、阪神高速が倒壊、その他衝撃的な映像の連続でした。
そして時間がどんどん過ぎていくうちに火災が発生、道路が渋滞で動かない、もう最悪の展開でしたね。
自衛隊や米軍はすばやくスタンバイをしていたということですが、地方自治体の首長や当時の首相(村山首相)らが適切な指示を出さないなど対応不能でした、今にして思っても、あの時の責任者はその後、きちっと責任をとったのか?と思います。 誰一人として、とっていないですよね、教訓にする、そう言ってしまえばそれまでなんでしょうか、首長が適切な対応をしていれば死者は相当数減らせたはずなんです、柱の下敷きになって救助がくるのを信じて待っていた方、多数と思います 死なさずに済んだ命の数の重みを行政の責任者たちは認識してくれているのでしょうか、日本中、どこでいつ起きてもおかしくない自然災害、責任者をどなたでも、って訳にしてはいけないです。
広瀬知事、大丈夫でしょうか?
麻生総理、大丈夫でしょうか?
個人的には知事は大丈夫かもしれないですが、首相は早く変えたほうが適切のように思います。
「天災は 忘れた頃にやってくる」(寺田 寅彦)
過ぎてしまえば、人はあの時の恐怖、悲しみを忘れ、備えを怠ってしまいがちです、これからは、備えがあれば防げたはずの天災後の人災を繰り返さない様にしたいですね。
1995年1月17日、阪神淡路大震災でかけがえのない尊い命を数多く失いました、私たちは永遠にこのことを忘れてはならないのです、改めて心より 犠牲者のご冥福をお祈り致したします。
黙祷。