明日は桜桃忌

sakapa

2009年06月18日 21:00

作家 太宰治が玉川上水に1948年6月13日に身を投げて、19日に死体があがったということで、6月19日は太宰治が好きだった桜桃(さくらんぼ)にちなんで「桜桃忌」(おうとうき)と呼ばれているとのことです。
昨日、NHKで「ヒストリア」 絶望するな ダザイがいる~太宰治「人間失格」誕生秘話~ http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/11.html っていう番組を観ました。
この番組、太宰治の私生活にスポットをあてた内容でいろんな意味でとても興味をひかれました、私は彼の作品は複数読んだことがあるはずなんですが、今現在、全く記憶に残っておりません、なぜだろう? 
ま、それはそれとして、作家という職業の表裏を見るような彼の生き様、人生は まさに今の現代でも引きずっている人間社会のある側面であるのだろうと思います。
「人間失格」 私も人間として合格しているのか?と問われれば、間違いなく「まだまだ」であります、しかし、失格かそうでないかは実際のところ死ぬまで解らないことと思います、まして人間は神ではないのだから、失格には成り得ないようにも思えるし、人間として合格ということは、合格を追い求め続けることでは、なんて自分に甘さを抱える俗物の私は思ってみたりいたします。
今の時代、日本で「鬱病」とされる人が100万人を超えているということです、毎年、自ら命を絶つ人も相当数いるこの現実、本当に完全な人間が合格なのだろうか、弱さを持って生き抜く人間のほうが人間らしいのではないだろうか、弱さを克服しようと生き抜く人間はより人間らしいのではないのだろうか、太宰治は何かを人間社会に問いたかったのだろうし、きっと、そのようなことを書に残してくれたのだろう。