悩みは人を大きくする、とは限らないかもしれないけれど、そういう側面もあると今にして思う。
20歳過ぎの頃、1人の男子として、元々他人の異性と仲良くなる、他人ではなくなる、そして わがままを言う、そして喧嘩、別れ、また他人同士にもどる。
私の場合、こんなことがよくありました、当時は何故だ?と悩みましたね、そしていつしか、わがままが少しの配慮になり、ジョークになる、スルーの仕方を覚えたのか、狡賢くなったのか、相手の不平やわがままで生じたストレスを圧縮してゴミ箱にしまってしまうようになる。
ストレスを圧縮しないで放置しておくと、どんどん膨らむのだろう、そして腹が立つ、短絡的に結果を出そうとする、で余計なストレスをまた溜め込む、という悪循環が生まれるように思う。
PCでも記憶領域の空きが少なくなるとエラーが頻発する、フリーズする、人間の脳も同じなのかもしれない、
実際人間の脳は未使用の部分が相当ある、きっと論理的にいえば、その部分の使い方次第で解決が出来るのだろう。
しかし、得てして人間は どつぼにはまる、客観的に自分が見えなくなる、いや見ようとしなくなる、そして 悩む、無限ループの始まりのように。
では、そこからの脱出方法は?
これはケースバイケースとしかいいようがないだろう。
まっさらの自分の脳のある領域に新たなアクティブスペースを創る、これは新しいことへの興味を持つことで生まれるかもしれない、そして気分や発想の転換でストレスは圧縮されるのだろう。
また、新たな人との出会いをする、そして潜在的に自身が自分に問いかけてもらいたい言葉をもらったり、自分の話をよく聞いてくれる人だったりする、このことは自分の中での色んな判断を自身で整理するきっかけを作ってくれたりするだろう。
悩む、考える、解決出来ない、 悩む、考える、解決出来ない、そして 悩む。
無限ループ。
しかし、それは時間が経つと大体は根本の悩み自体が小さくなる そして考えなくて済む、悩まない、いや忘れるのかもしれない。
理屈では解っていても 悩む本人はなかなか大変なもの。
短絡的な結論は出さないほうがよい、いや出さないでほしいと思う。
生きていれば、いろいろある。
メリハリ?
だったら、悩みの後には きっと楽しい が訪れる、と思いたい、いや信じたい。
楽観的なアドバイスは厳禁なのかもしれないが、出来る限り軽く考えてみたらどうだろうか?
一生懸命の自分が居る、かわいい子どもが居る、
子どもはわがままを言うだろう、いろいろ大変、けれども子どもは間違いなく一生懸命の親を記憶してくれているのだ。
いつか 子どもが大人になったとき、その記憶が甦る、そしてベストを尽くしてくれた自分の親に感謝をする、苦労がもたらしてくれた優しさがループする、次の新しい世代へと。
なんか まとまりのない 文面でお恥ずかしいですが、悩んでいる人に頑張れ、とも言えず、けれどもやはり自分らしく頑張れ、と言いたいのでした。