いうてもしょうがない?!
龍馬伝-8-
岩崎弥太郎の父親が悪徳庄屋、癒着地元奉行により半殺しの目にあい、その上、身に覚えのない罪まできせられる、江戸から急遽帰郷する弥太郎、事実を知り、抗議し続ける弥太郎、坂本龍馬。
そこで吉田東洋という藩の要人に直訴を試みる。
結果は否である。
やりどころのない不条理を改めて認識する2人、弥太郎は奉行所の門に抗議の落書きをする、そして投獄。
一方、龍馬は本能的に政治の根本を変える必要を感じる、そして再び江戸に向かう。
こんな感じの8話だったでしょうか。
話の中に登場する吉田東洋は野心家である、自分自身こそが権力者になる器と自信満々である、彼の判断の中に民衆の幸福などはない、他人の為に何かをする、なんて腹はもうとうない、あるのは自分のみである、このことは現在の驕り高ぶる官僚や政治家たちにも一部重なるようにも思う。
一方、龍馬は自分の事よりは他人の事、みんなのことが根本なのだ、それが亡き父親から受け継いだ1つの意志でもあるのだ。
これからもどる江戸では攘夷の嵐が吹き荒れる、異を唱えるものは斬り捨てられる、そんな風潮のある一時期が訪れようとしているのだ、それは封建社会での不公平のリバウンドであるのだろうけれども、話し合いや相互理解を否定し対立、争いの時代へ突入する危惧が高まっていた、そこに坂本龍馬の存在が時代の要請であるかのようにかかわっていくのだ。
9話も楽しみぜよ。
ところで、今の世の中でも、「いうてもしょうがない」が多くある、と思われている方が多いのではないかと思う。
確かにいろんな組織の中で理不尽に思うことがあるかもしれない、ただそれはよーく考えてみると自分自身に都合よくならないからそう思うだけかもしれない、多数の人たちが同じ思いをしているのか?
そうでないのなら、その確率は高い、会社組織内なんかでそれをよく見かける、上司や社長を批判する、しいては会社自体も批判する、
「じゃ、どうすりゃよくなるんかえ?」って訊いてみたら
「どうしようもないです」
「じゃ、なんで君はそこにおるんかえ?」ってきいたら、
「・・・・・」
ま、こんな感じ。
きっとこういう批判をする方は、自分自身の中に解決すべき問題があるのだろうと思う。
他人様をあれこれ批評できる人間ではないのだけれど、社会が悪い、会社が悪い、社長が悪い、って言う前に「そういう自分は何ができるんかい?」と自問してみるべきだろう。
こう書いてみると、なんかこれ自体自分自身に言っている、言えることかもな?って気がしなくはないのだけれど。
いつの時代にも そのときそのとき地道に踏ん張って努力を続けている人たちが大勢いるのだ、そうやって時代が成り立ってきているのだ。
文句や不平を口に出すよりも「私はこういうことが出来ます」「私はこうすればよいと思うちょります」「いろいろ努力しちょりますが今はそんなにうまくできちょりません、けんどまだまだ頑張りよります、みちょってください」なんて感じの言葉を発したほうが相手にも自分にもよかろうに。
ま、誰を指して言っているわけでもない、とりとめもない話をするよりも龍馬伝の続きを楽しみにしちょるほうが賢いんやろうね。
そうじゃ、そうじゃ。