2009年08月29日

選挙になると亡き父を想い出す

私の父は高知のいわゆる僻地の小学校の校長でした、40で校長になり、それからというもの日教組との戦いであった側面もあったようでした。
えっ、なにが? って。
当時、教員の世界ではとても組合(日教組)が幅を利かせていたようでして、教師としてのあり方を学校長としてストレートに組合教員に意見していた父は組合側からはあまり歓迎されない存在であったようでした、そしてそのこともあってか、山間部の小学校の校長を転々とさせられていたようでした。(本人曰く)
その頃の私はといえば、まだ中学生、家で親父の愚痴にも似た教育の現場のいろんな話を一人聞くことが多かったです。
そんな父の楽しみの一つが国政選挙、熱烈な自民党支持者であった父、公務員でありながら夜半に支持する自民党候補者のポスターを貼りに出かけたりとその熱の入れようは相当なものでした。
投票日ともなると朝から準備万端、夜には選挙速報を見ながらビールを飲む、その傍らで民放番組を見たいのだけれども言い出せない中学生の私。そして開票がはじまる、今みたいにスピーディでない進行の開票速報、父は全国の自民党議員の戦況に一喜一憂しつつあれやこれや私にしゃべる、もちろん中学生の私にはなにがなにやらわかりゃせん。
佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳、安部晋三、田中角栄、この頃の政治家は今にして思えば政治家としてのダイナニズムをもっていた、野党にしても春日一郎、竹入義勝など論客がひしめいていた、だから党首が接戦で当選なんてことはありえなく、彼らの立候補する選挙区はどこも圧勝であった。

美味しそうにキリンビールを飲む父が私に言う、
「佐藤栄作の次に首相になるのは誰やと思う?」
突然の問いに 「田中角栄がなればいいと思う」と答える中学生。
その返事に驚いて「そうか?」という父の笑顔、今でも昨日のことのように想い出します。
当時の日本は高度経済成長期、その国家戦略を先導していたのが与党自由民主党であった。
その後、竹下登ぐらいからか?、すこしづつ国民、庶民感覚からズレが生じてきた自由民主党、そのギャップはどんどん広がり進む、新自由クラブが出来た時、その後の日本新党が出た時、国民は相当期待をした、結果ははずれ。
そして小泉氏が「自民党をぶっ壊す」といって大きな支持を得る、実際はパフォーマンスの部分がほとんどであったような結果で、当時の野党潰しの奇策であったのかもしれない、そんなこんなの今度の選挙、自分自身の国民感覚とのズレを認識しない、いや出来ない麻生太郎という首相の登場、歴史の必然とでもいえるような流れです、自由民主党初代党首鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)は民主党党首であった1954年に自由党総裁吉田茂(麻生太郎の祖父)を倒して総裁に就任、翌1955年に自由党と民主党が合同して自由民主党になる、初代党首就任。
因果といえば因果なのだろうが、世襲が政治家のなかで蔓延し、政治家としての崇高な理念やダイナニズムが失われてしまっている現代ではおそらくイチ過程でしかないだろう、国民は血筋で運営する政治を望みはしていない、鳩山さんが首相を務めることに問題はないのだが、ここ十数年来自民党が繰り返してきた種類の政治には戻さないでほしい、野党の時の目線を失わず、古い自民党に迎合することなく国民の期待にこたえる努力を続けていただきたいものです。

いよいよ明日ですね、選挙はフタを開けてみるまで判りません、一人でも多くの有権者がこの歴史的な総選挙の参加者であり、歴史を変える当事者になるべく投票いたしましょう。

選挙になると亡き父を想い出す
Posted by sakapa at 01:07│Comments(1)
この記事へのコメント
政界再編待望派の私としては、民主圧勝のマスコミ報道には不安を感じたりもしていますが、揺り戻しによって拮抗しつつの再編が望ましいと考えています。
いずれにせよ、選挙後にはそれぞれの議員自身が機軸を鮮明にした上に、大きな旗を基にすべしと、考えています。
今回が劇場型選挙に終始することがないことは、郵政解散で国民で経験したことによって、真面目に考える真の意味での民主主義が根付くチャンスかもしれません。
結果に対する期待は別として、投票率の格段のUPを期待しています。
Posted by タロー at 2009年08月29日 01:41
 
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