2012年11月12日

慢心の反義語

慢心・・・おごり高ぶること。また、その心。自慢する気持ち。

物心ついたときから、自分に言い聞かせたつもりの言葉が「慢心にならんように」である。
人間、うまくいきすぎたり、自信がつきすぎたりするとそうなりやすいのだろう。
けれども、向上心をもってベストを尽くし、結果が出た時、一つ間違うとそうなるのかもしれない。
私は「クリエイティブ」という言葉が好きだ。
この言葉を持ち続けることイコール「慢心」にはなり得ない、と近年思う。
私にとって、「慢心」の反義語は「創造力」なのである。
創造力って概念は無限と思う、だからこれを追い続けることは「慢心」にはならないだろう。
なんか自己弁護みたいにも聞こえる理屈なのかもしれないけれども、素直にそう思う。

慢心の反義語をインターネットで検索してみた。

「虚心」・・・心に何のこだわりももたずに、すなおであること。また、そのさま。

だそうだ、なるほど、確かにその通りである。
けれども、やはり私的には「創造力」でいきたい。
実際、創造力ってのには なんかしら「こだわり」がある、個性というか自分の嗜好っていうかだ。
そういう観点でみると「虚心」とは少し違うのかもしれない。
僕は、もういい歳であるのに、仕事にしろ、思考力にしろ進歩がないのかもしれない、けれども、それなりにその時を絶えず楽しんでいる。
しんどいとき、苦労しているとき、いつも思う。
いまは辛くとも、後で思いかえせば たいしたことは無い、自分のタイムラインの楽しさのアウトラインなのだと。
先日、長年の親友の葬儀に横浜にいった。
あまりに突然の悲報で、正直うろたえた。
彼は55年間独身であった、一流の会社に勤め、それなりの財もあり、外見も悪くない男だった。
別にずっと独身であることが悪いことではないし、彼は彼で人生を楽しんでいたはずだ。
僕が大分に越してきてからは毎年、大分の温泉に入りにきてくれたものだ、そして、定年後は別府に家買って住む、とも言っていた。
そんな友人からここ数年、連絡がなかった、こちらからも年賀状出す程度で連絡をとっていなかった。
後で聞いたところ、癌で闘病中であったということだ。
なんということだ、僕は全く知らなかった。
これでも僕は彼の親友といえるのか?
今でも自分を情けなくおもう。
通夜に参列して、色々考えた。
人間の人生って?
都合のよい人間なのかもしれないけれど、故人が「坂本は坂本でいいんじゃないんかえ?」って言ってくれたような。
49日も過ぎたこの頃に、自分は何なんだろうと考える。
54にもなって、まだこの様か?
いや、僕は僕である、よかれ、とおもうたことはやってみる。
歳など関係ないし、他人がどう言おうと自分なりにベストを尽くすまでだ。



<お詫び>
新店舗、開店はしちょりますが、まだまだ本格リニュアルではありませんがご来店をお待ちしております、店主がこのような性格につき徐々にお店らしくなっていく予定です、ご来店の皆様にはご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願い致します。

慢心の反義語
画像は横浜の親友と20過ぎに室戸岬にて撮影、ご冥福を心よりお祈りしちょります。



Posted by sakapa at 02:40│Comments(0)
 
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